自立するジャケット

前回進捗報告したジャケットが概ね完成した。「シワ」を強調するために普通は衣服には使わない極厚の生地(防水キャンバスなど)で作ったわけだが、この素材を選んだのには、実はシワの他にもう一つ「ある狙い」があった。すなわち、「すぽっと脱いで襟をつまんでポンと置いたらそのまま自立するジャケットがあったら面白いんじゃないか」という思いつき。で、結果は御覧の通り。結構強烈な存在感が出せたのではないかと思う。10月の展示会に出品するので、興味のある方は是非会場でご確認を。

関節と衣服、自然と人為

前回書いたように「関節への愛」をテーマに服のデザインを考えているのだが、いくら好きだからと言ってその形をそのままなぞったのでは芸がないというか、さりげなくない。舞台衣装とかならいいが、kiyozaneの服はreally real clothingなのだ。そこで着目したのが生地の「シワ」。曲げた状態の関節に合わせて服を作り、それを着て関節をまっすぐにした時に生じる「シワ」で関節の存在を強調する、というアイデアを思いついた。写真はシーチング生地での試作だが、本番はこれをもっとゴワゴワの厚い生地で作る。
「自然は美しい」とは誰もが思うだろうが、人間の感性には人為的なかたちにも理性の発現としての「美」を感じる回路があるというのが僕の持論で、自然物である人体(ここでは関節)はそのままでも美しいのだが、これにまとわせる衣服という人工物だって、というかむしろ人工物だからこその、理性で裏打ちされた「美」でありうる――そういう挑戦。

エゴン・シーレの“関節”

身にまとうもののデザインを考えることは同時に人の身体について考えることでもあるのだが、最近改めてそう意識してみて、僕が服をデザインするときにはほとんどいつも、頭の片隅にエゴン・シーレがいることに気づいた。シーレを初めて意識したのは僕が学生だった1986年ごろ、たしか新宿の小田急美術館で開かれた展覧会(クリムトとセットだったかも)でだったと思う。いっぱしの創作者気取りを始めたばかりの僕は、彼の描く人物画から、人体をかたちづくる要素としての筋肉と関節、特に後者への強い執着を読み取った。彼の芸術はエロス(性愛)の文脈で語られることが多いが、そんな湿っぽいことは抜きに、純粋に造形の嗜好という意味で、19歳?の僕は共感し大いに感化された。シーレから受け継いだ(と勝手に思っている)この「関節への愛」を数十年の眠りから解凍し、自分のデザインに生かす時が来た。…という訳で、10月の展示会に向けて今、“関節”をテーマの一つに据えて制作を進めているのであった。(つづく